漆業界でも、耳障りのいい、サスティナビリティとか優しさ暖かさばかりがマーケティングのためにアピールされることには少し苛立ちを覚えます。
もちろん地球環境、温暖化問題を解決するために必要であることには異論はありません。

でも漆樹の血であり体液である漆をとるために樹に傷をつけ、終いには掻き殺すという行為は実は禍々しいもの。
薄っぺらな一面的な見方は嫌なのです。人間が生きるために他の生物にいかに依存してるのか、他の生物を犠牲にした上に生きているのか。そして共存させてもらってるか。自分の中の細菌たち含めて。
綿花だって野菜だって動物を食べていることだって何だってそう。その他者の痛みの円環の上に自身の生活が成り立っていることを自覚して引き受けることの大切さを思う。

土でできている陶磁器の茶碗つまり生物の死骸で私たちは茶を喫し、樹の血で塗られたお椀で味噌汁を啜ってる。
でもそう思うと、私たちは独りじゃない。

漆と出会ったのは、パリのギャラリーでインターンをしていた頃です。
日本人としてのアイデンティティならびに文化を表現することを期待され、要求される日々でした。それが武器となることも、実感していました。

Gallery Achdjianは、テキスタイルを中心にアンティ―クから現代アートまで幅広く扱うアートディーラーです。
Drouotなどのオークションに出入りするうち、アイリーン・グレイ(1878~1976)というアールデコの時代にフランスで活躍したアイルランド人デザイナーと菅原精造によって制作された一連の漆の作品を知りました。
経年劣化もあり、表面の状態は決してよくないそれらの作品でしたが、漆という素材の持つ力と可能性に心躍りました。
表現に多様性を持つ漆は、作り手によってどんな文脈にも生かすことができる。
私は、この時初めて漆と出会いました。古より人々を魅了してきた漆の神秘的な美しさ。他者として漆にひかれた瞬間の胸の高鳴りを大切にしたいと思います。
そして私の作るものがそのような体験を誰かに与えられたなら、これに勝る歓びはありません。それが、漆を自身の仕える事とする所以だからです。

(アイリーングレイは、後には建築の世界へと活動の場を移し、ル・コルビュジエ(Le Corbusier1887~1965)とも仕事をしています。二人についての映画が制作され、ポンピドゥーセンターでは回顧展が開催されたり、またイブ・サンローランとパートナーのピエール・ベルジェ旧蔵のDragon arm chairがクリスティーズにおいて20世紀にデザインされた工芸作品としてオークション史上最高額の2820万ドルで落札されるなど、再評価も高いアイリーン・グレイ。彼女の圧倒的なデザイン力でもって表現された漆の作品群からは、漆という素材そのものが迫ってきます。アイリーンは漆に何を見ていたのでしょうか。あの世で出会えたら、ぜひ聞いてみたいのです。)